今日はだいぶ急に寒くなりましたねえ。
紫苑ちゃんも丸くなってます。
さて、昨日の重労働の効果が出たかどうかは不明ですが、
今日は粗相は(見た範囲では)されずに済んだようです。
やれやれ、、
そんなこんなで昨日は寝るのが遅くなり、今日もお仕事忙しかったので、
猫たちのご飯とトイレが終わった後、疲れて床にゴロゴロしていたら、
「ママ、暖かい、、」
木蓮ちゃんが乗ってきました。
「眠くなってきたにゃあ」
「この場所好きにゃ」
うん、ママもあったかいよ。
粗相でバタバタして、昨日はキーキー切れまくってましたが、
やっぱりのってくるニャンコはあたたかくてかわいくて、
まあ、いいか、
やっぱり猫飼ってよかった、
とあっさり考えが戻りました。
今日職場で猫の粗相の話をしたら、
革製品のバッグ類に必ず粗相をする猫を、16年飼っていた職員がいました。
おおう、、
それでもやっぱり猫を飼うのはどうしてなんでしょうねえ。
お金はかかる、
手間もかかる、
旅行も行きにくくなる、
病気になればさらにお金はかかり、
粗相なんてされた日には切れたくなり、、
物理的なメリットはないに等しいのに。
この小さな暖かい毛だらけの塊が、
自分を信頼して甘えてくると、
それでいいか、
と思ってしまうのはなんででしょうねえ。
猫の幸せが私の幸せ、と言い切れる自信はないですが、
それでも自分を信頼してくれる猫たちに絆を感じて、
暖かい気持ちになる自分がいます。
そして猫に幸せになってほしいと願い、
不十分ながらも努力する自分がいます。
相手の幸せを願うことを愛情と言うのなら、
私は猫を愛しています。
愛し信頼してくれる相手が世の中にいてくれるのは、
やはり幸せなのでしょう。
考えてみれば、
言葉の通じる人間同士でも分かり合えず喧嘩したり、憎しみあったり、時には殺しあったりしています。
一番遺伝的にも環境的にも近い家族でも、残念ながら分かり合えることは多くはないです。
それが進化の過程でずっと前に枝分かれしたヒトとネコが、
分かり合えると思う方がそもそもおかしいでしょう。
種族が違うのですから。
でも、その種族の差をなんとか埋めて乗り越えて、
なんとか一緒に生活をしていって、
私たちは家族になっていくのでしょう。
猫との生活でメリットはないですが、
かけがえのない愛情と家族を得ることができます。
みんなが猫を飼う理由はそれぞれでしょうが、私の場合はそうですね。
あ、それから、
忍耐
が身につくでしょうか。
怒っても猫には通じませんからねえ。
犬と違ってしつけはできませんし。
「何かっこいいこと言ってるにゃ」
すみません。。。
ちょっと思いついたことを書きなぐってみちゃいました。
でも、明日も粗相しないでくれるとありがたいなあ。